同じ鬼住山の話なのに、ある旧家の家伝では、物語は恋から始まります。まずは紙芝居でどうぞ。鬼は残らず従い、されど勝った皇子は帰らなかった――三つのうちで、いちばん静かで悲しい一篇です。【文書記録】の回です。
紙芝居 ―― 皇子の物語

むかし、伯耆の国の妻木の郷に、朝妻という、たいそう美しい人がいた。

その美しさは、やがて都にまで聞こえた。姫は召されて、みかどにお仕えする身となった。

けれど故郷には、年老いた母がひとり。姫は暇を願い出て、母を養うために、伯耆へ帰っていった。

すると――みかどご自身が、姫を慕って、はるばる伯耆まで下っておいでになった。しばらく住まわれたその山を、人は孝霊山と呼ぶようになった。

やがてふたりの間に、ひとりの皇子が生まれた。名を、鶯王という。

そのころ、日野の鬼住山には悪鬼が棲み、近隣の民を悩ませていた。

家臣の大連が、進み出て申し上げた。「鶯王さまを大将に、わたくしがお供して、退治してまいります」。勅命が下り、軍は鬼住山へ向かった。

戦いの結末を、家伝はたった一行で記している。――悪鬼は、残らず従った。

勝ち戦であった。けれど。――鶯王、この地に戦死す。悪鬼は残らず従い、されど勝った皇子は、帰らなかった。

ふもとの社に祀られているのは、この若くして散った皇子の御霊だという。夕暮れの社の前に、灯がひとつ。風だけが、ある。
――これは、鬼住山に伝わる三つの物語の、ひとつ。
ここからは、史料の話
この物語は、『日野郡史』の「口碑傳説」の章に、楽楽福神社の縁起とは別系統として収められています。日野郡の旧家・進(しん)家に伝わった家伝『由縁世代抄』。同じ山の話なのに、構成がまるで違います。
朝妻姫
昔、伯耆の妻木の郷に朝妻という美しい人がいました。やがて評判は都に届き、姫は孝霊天皇の宮女に。けれど故郷には年老いた母がひとり。姫は暇を願い出て、母を養うために郷へ帰ります。
ここからがこの物語の独特なところで――天皇のほうが、姫を慕って伯耆まで来てしまうのです。天皇がしばらく住んだ山は、のちに孝霊山(こうれいざん)と呼ばれるようになったと家伝は語ります。米子の東にそびえる、あの山です。
ふたりの間に皇子が生まれました。名は鶯王(うぐいすおう)。
鬼住山へ
そのころ日野郡の鬼住山には悪鬼が住み、近隣の民を悩ませていました。家臣の大連(おおむらじ)が進言します。「鶯王さまを大将に、私がお供して退治してまいります」。勅命が下り、軍は鬼住山へ。結果を、家伝はたった一行で記します。「惡鬼不殘打隨ひしと也(悪鬼は、残らず従った)」。
ここでも鬼は滅ぼされていません。兄鬼の降参と同じ、「敵が降って従う」結末。系統の違う二つの物語が、同じ芯を持っています。
それでも、皇子は帰らなかった
勝ち戦でした。このとき、軍の先頭を切って「進んだ」家臣の大連(おおむらじ)は、その手柄によって「進(しん)」という一字を、姓として賜ります。先頭を「進んだ」から「進」。語呂合わせのような、名字の由来譚です。これが、日野郡にいまも続く進家の名字の始まりだと家伝は語ります。伝説が、現実の名字につながっているのです。
そして家伝は、静かにこう結びます。「鶯王この地に戰死す。今の樂々福は鶯王の崩御の御靈を祭るとなり」。
鶯王は、この地で戦死した。そして楽楽福神社が祀っているのは、この若くして散った皇子の御霊なのだ――と、この系統は伝えるのです。
団子と笹の、どこかユーモラスな鬼退治の隣に、こんなに静かで悲しい変奏が眠っていました。悪鬼は残らず従ったのに、勝った側の皇子は帰らなかった。山のふもとの神社に祀られているのが天皇なのか、皇子なのか――伝承によって答えが違うこと自体が、この山の歴史の厚みです。
うさぎのひとこと:恋を追いかけて山陰まで来ちゃう天皇と、いちばん前で戦った皇子の話。教科書には載らないけど、わたしはこの版がいちばん泣けます。
参考文献:
- 進長者傳説(イ)古市山根家「由縁世代抄」—『日野郡史』下巻(日野郡自治協会、大正15年)第十四章 口碑傳説 国立国会図書館デジタルコレクション(コマ542〜543)
- ※『日野郡史』の編者は、この家伝の系譜記述に「事実及び時代に錯誤がある」と注記しています。本記事も史実としてではなく、一族が大切に伝えた物語としてお読みください。旧字・旧仮名の判読に誤りが含まれる可能性があります
- ※紙芝居の挿絵はすべてAI生成イラストです(伝承の場面のイメージとして制作)