書斎の机で古い本を読む白いうさぎの水彩イラスト


ここまで、伯耆の刀と鬼の歴史について書いてきました。 ここからは少し、個人的な話をさせてください。


一冊の本を読んだ

八尾正己さんという方が書かれた小説があります。

『刀匠伯耆安綱と童子切』(郁朋社)

八尾正己著『刀匠伯耆安綱と童子切』表紙

安綱の時代 — 鬼と刀と鉄が交差していた伯耆の世界を描いた物語です。第25回歴浪漫文学賞の最終選考通過作。

正直に言うと、簡単な本ではありません。時代を感じる表現が多く、歴史に馴染みがないと読み進めるのに体力がいると思います。

でも、読みました。面白かった。

何が面白かったかというと、教科書では見えない視点が、物語の中にあったからです。

鬼退治の物語では、いつも斬る側が主人公です。源頼光は英雄で、酒呑童子は悪。安綱は名刀を作った偉大な鍛冶師。そういう「表側」の物語は、歴史の本を読めば書いてあります。

でもこの小説は、そこに立ち止まらなかった

鬼と呼ばれた側にも人としての暮らしがあった。安綱もまた、山で鉄と向き合い続けた一人の人間だった。刀は斬るための道具であると同時に、誰かを守るために打たれたものでもあった。

そういう、記録の隙間にある人間の物語を、この本は描いていました。

内容についてはこれ以上触れません。物語の中に生きている人物たちのことは、読んで出会ってほしい。


読んでから、知りたくなった

本を閉じてから、気になり始めたことがありました。

安綱という人物は、どこまで記録に残っているのだろう。刀は本当に1030年前のものなのか。「古伯耆」の一門とは何だったのか。鬼と呼ばれた人々と安綱の関係は、本当にあったのか。

調べてみることにしました。


残っていた記録

机の上に日本地図を広げて調べる白いうさぎの水彩イラスト

調べてみると、安綱の名前は思ったより古い記録に残っていました。

観智院本銘尽(かんちいんぼん めいづくし)。1316年頃に原本が成立した、現存する最古級の刀剣書です(国立国会図書館蔵、重要文化財)。ここに「伯耆国小原安綱」として名前が載っている。安綱の太刀を田村利仁将軍が越前の氣比神宮に奉納した記録があり、その刀は「未だ錆びず」「主を嫌ふ(持ち主を選ぶ)」と伝えられていたと書かれています。

さらに古い評定の記録もあります。鎌倉幕府の第3代執権・北条泰時の時代(1240年代)に、「古刀上工十一人」を選定した記録が残っていて、安綱がその筆頭に据えられている。安綱の没後200年ほどの時点で、もう「最高の刀工」と位置づけられていた。

1483年の『能阿弥本銘尽』には、さらに具体的な記述があります。安綱の太刀が伊勢太神宮に奉納されていたものを、源頼光が夢のお告げで授かり、その刀で酒呑童子という鬼を切った — と。これが、安綱の刀と酒呑童子伝説を文献上で結びつけた、確認できる限り最も古い記録です。


安綱の子の刀が、東北にある

もうひとつ、調べていて気になったことがあります。

安綱の子とされる刀工に真守(さねもり)がいます。古伯耆の第2世代。この真守が打った刀が、なぜか東北地方に複数残っている。

津軽家(弘前藩)には「綱丸(つなまる)」と呼ばれる三尺三寸(約100cm)の大太刀が伝わっていました。天正13年(1585年)、津軽為信が上洛途中に暴風に遭い、龍神に刀を捧げたところ嵐が収まった。帰港時に碇の綱に刀が絡まっていたので「綱丸」と号した — という逸話があります。1627年の弘前城落雷火災では、この刀だけが飛び出して松の枝に引っかかり無事だったとも。

安綱の刀も東北に渡っています。仙台藩伊達家には安綱銘の太刀が伝来し、現在は宮城県の登米懐古館に収蔵されています。鬼切安綱(髭切)は最上家を経て京都の北野天満宮へ、保科安綱は会津藩保科家を経て静嘉堂文庫美術館へ。

伯耆 — 山陰の西の端で打たれた刀が、海を越え、山を越え、東北の地にまで届いている。

和室で古い文書箱を開ける白いうさぎの水彩イラスト

一般的には、刀は中央の権力者(将軍家や朝廷)の手に集まり、そこから各地の大名に下賜される形で移動したと説明されます。たしかにそうした経路で説明のつくものが多い。

でも、そうとは言い切れない流れもあるのかもしれない。その「かもしれない」の部分に、先ほどの小説は一つの想像を差し込んでいました。


わからないことが、残っている

調べれば調べるほど、「わからない」が増えていきます。

安綱が刀を打っていた場所は、5つの候補地があり、まだ決着がついていない。安綱が山伏だったという伝承は、どこまで実像に近いのか。真守の刀がなぜ東北に渡ったのか、その全貌は見えない。綱丸は現在どこにあるのか、所在すらわからない。

でも、わからないからつまらないのではなく、わからないから面白いのだと、調べてみて思いました。

もし全部わかっていたら、もう調べる必要がない。想像する余地もない。記録にないからこそ、残された断片から「こうだったのかもしれない」と思い描くことができる。

八尾さんの小説も、そうした「記録の隙間」に物語を置いた作品でした。実在する刀、実在する地名、残されたわずかな記録 — その周りにあるものは本物で、その間を物語が繋いでいる。


田園風景の中で苔むした石碑を見上げる白いうさぎの水彩イラスト

もし興味が湧いたら

この記事を読んで、少しでも気になることがあったなら。

安綱の鍛刀伝承地には石碑が建っています(伯耆町八郷大原)。楽々福神社は今も参拝できます。鬼住山は往復1時間20分の登山で山頂に立てます。

東京国立博物館に行けば、童子切安綱の実物を見ることができます。1030年前の鉄。ケースの向こう側に、あの時代がそのまま残っています。

そして、もし「鬼」と呼ばれた人々の側から歴史を見てみたいと思ったなら、八尾正己さんの『刀匠伯耆安綱と童子切』を手に取ってみてください。Kindle版もあり、Kindle Unlimitedに加入していれば無料で読めます。

八尾正己『刀匠伯耆安綱と童子切』 郁朋社 / ISBN 978-4-87302-850-7 Amazonで見る Kindle版あり(Kindle Unlimitedなら無料で読めます)

何が起きていたのか。本当のところは、もう誰にもわからないのかもしれません。

でも、現代まで受け継がれてきた刀という実物と、残された資料と伝承。今に残されたものから想い描いてみると、1030年前の鍛冶師が、急に近くに感じられる瞬間があります。


参考: 八尾正己『刀匠伯耆安綱と童子切』郁朋社 観智院本銘尽: 正和5年(1316年)頃の原本。応永30年(1423年)書写の写本が現存。国立国会図書館蔵、重要文化財。 泰時評定(北条泰時の古刀上工選定): 上古秘談抄(正和3年/1314年)に収録。 能阿弥本銘尽: 文明15年(1483年)写。安綱の太刀と酒呑童子伝説を結びつけた記録。 綱丸: 津軽家重代の宝刀。真守作、三尺三寸の大太刀。逸話は『愚耳旧聴記』による。現在の所在は不明。 伊達家伝来安綱: 登米懐古館蔵(宮城県登米市)。登米市有形文化財。


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