シリーズ最終回。三つの物語を知ったうえで、地図を広げます。この伝説のすごいところは、舞台がぜんぶ実在の地名で、その多くにいまも行けることです。
町内で歩ける場所
- 鬼住山 — 鬼の本拠地。ハイキングコースあり
- 笹苞山 — 天皇が陣を張った向かいの山
- 楽楽福神社(宮原) — 皇后・細姫命ゆかりと伝わる社。境内には古墳も
- おにっ子ランド・鬼守橋・鬼のトイレ — 許された鬼たちの、現代の配置場所
隣町への小さな旅 — 日南町宮内
伝承の深いところは、日野川をさかのぼった日南町宮内に集まっています。
- 東・西の楽楽福神社 — 日野川を挟んで東西に社が向かい合う、全国でも珍しい形
- 鬼塚 — 退治された鬼を埋めたと伝わる塚。江戸の地誌『伯耆民談記』に記録があり、大正の『日野郡史』が「今なお存す」と現存を確認しています。東楽楽福神社の前の畑の中
- 太刀洗の池 — 鬼塚の近く。名前だけで物語が見える池
- 崩御山 — 神社のそばの古墳。皇后(一説に皇子)の御陵と伝わり、明治の考古学雑誌にも報告された実在の古墳です
『日野郡史』には、この鬼塚と崩御山の100年前の写真が載っています(著作権が切れているので、誰でも見られます。リンクは記事末尾に)。同じ場所に立って、同じ角度で今の写真を撮る——この連載の宿題のひとつです。撮れたら、この記事に並べて貼ります。
もうひとつの宿題 — 鬼は、どっちを向いている?
第一回を思い出してください。兄鬼・大牛蟹は「北を守らせて下さい」と言って許されました。
だとすると、です。おにっ子ランドの巨大な鬼像は、どっちを向いて立っているのか。鬼守橋の10体は? 約束どおり北をにらんでいるのか、それとも全然違う方角なのか。
正直、わたしはまだ確かめていません。今度メジャーじゃなくてコンパスを持って、見に行ってきます。結果はこの記事に追記します。もし読者のかたが先に確かめたら、ぜひ教えてください。
ただ、地図を眺めていて気づいたことがあります。縁起によれば天皇の宮があったのは日野川の上流、いまの日南町宮内のあたり。鬼住山はそこから見て下流——つまり北にあたります。だとすると「北を守らせてください」は、鬼がどこかへ移されたのではなくて、自分の山にそのまま留まることを許された、という読みができます(あくまで推定です)。日野の谷の北の入口に、鬼の山が門番のように座っている。鬼住山という名前が今日まで残ったことまで、これなら筋が通る気がするのです。
ちなみに鬼守橋のブロンズ像は平成の設置なので、像の向きは現代のデザインの都合かもしれません。でも「鬼守橋」という名前そのものは大正の郡史に載っている古い層。名前が守りを覚えていて、像はその上に立っている——そう考えると、向きがどちらでも、確かめに行く価値はあります。
おわりに — 知っている話の、知らない深さ
移住してきたばかりのわたしは、あの鬼が「許されて町を守っている側」だとは知りませんでした。たぶん、毎日この町で暮らしていても、知る機会は意外と少ないんじゃないかと思います。
一つの山に、三つの物語。鬼の話、皇子の話、人間の話。どれも食い違って、どれも「敵は滅ぼされず、降って、仲間になる」ところだけが同じ。失われた絵巻の前半を、この土地の人たちは100年以上、口と石と橋の名前で語り継いできました。
次にあの鬼の像の前を通るとき、すこしだけ見え方が変わっていたら、この連載は成功です。
うさぎのひとこと:コンパス持って鬼に会いに行く休日、いいでしょう。お供します。団子は各自持参で。
参考文献:
- 『日野郡史』上巻(日野郡自治協会、大正15年)前篇第三章 — 鬼塚・崩御山の記録と写真 国立国会図書館デジタルコレクション(コマ65〜67)
- 『日野郡史』下巻 第十四章 口碑傳説 — 同(コマ539〜543)
- 伯耆町観光サイト「日本最古の鬼伝説と鬼がいる風景」
- ※鬼塚・太刀洗の池・崩御山は日南町域です。見学の際は現地の案内に従ってください。鬼の像の向きは現地未確認のため、確認後に追記します