
伯耆町の溝口あたりを歩くと、あちこちに鬼がいます。
JR伯耆溝口駅の駅舎は鬼の形をしています。駅前には鬼の電話ボックス。橋の欄干には小鬼のブロンズ像が並び、少し山に入れば高さ18メートルの大牛蟹(おおうしがに)のブロンズ像が建っています。
この一帯には、古くから鬼の伝承が根づいています。
では、鬼とは何だったのか。
いちばん古い鬼の話
伯耆に伝わるいちばん古い鬼の物語は、孝霊天皇の鬼退治です。
記紀(古事記・日本書紀)に記される第7代天皇。この天皇が伯耆の鬼を退治したという話が、伯耆町の鬼住山(標高326m)を舞台に語り継がれています。
孝霊天皇が実在したかどうかは、学術的には定まっていません。記紀が記す在位年代をそのまま取ると紀元前ですが、これは編纂時に引き伸ばされた数字と見るのが一般的です。想定される実年代は弥生時代の後期から古墳時代あたり。
ただ、伯耆町宮原の楽々福神社(ささふくじんじゃ)は、709年(和銅2年)にこの天皇と皇后を「笹福大神」として祀ったと伝えています。少なくとも1300年以上前から、この土地の人々は「鬼退治の天皇」を祀ってきた。
物語としては、日本の鬼伝説の中でも最古級に位置します。
鬼とは誰だったのか
ここで少し立ち止まって考えてみたいことがあります。
「鬼」とは、本当に角の生えた化け物だったのか。
日本の古い物語で「鬼」と呼ばれる存在は、しばしば中央の権力に従わなかった人々を指しています。山に暮らし、独自の文化を持ち、都の支配を受け入れなかった人たち。「まつろわぬ民」。彼らは記録する側 — つまり都の側 — から見て「鬼」と記された。
伯耆の鬼退治にも、そうした読み方があります。
この土地は砂鉄が豊富で、古くから鉄を作る人々がいました。砂鉄を採るために山を崩し、川に砂を流す。その結果、下流では洪水が起きる。その被害が「鬼の仕業」として語られ、それを鎮めることが「鬼退治」になったのではないか — という解釈です。
鬼と鉄。伯耆では、この二つが最初から絡み合っています。

もう一人の「鬼」— 酒呑童子
伯耆の鬼退治から、時代はずいぶん下ります。
酒呑童子(しゅてんどうじ)。
日本で最も有名な鬼の一人です。京の都を脅かし、大江山を拠点にしていた。源頼光と四天王がこの鬼を討ち取った — という伝説が、能や絵巻物で広く知られています。
この退治が行われたとされる年代には990年、995年、1018年の3つの説があり、定まっていません。源頼光は実在の人物ですが、酒呑童子の退治そのものは伝説です。
ただし、ここで一つの事実が重なります。
酒呑童子を斬ったとされる刀が、安綱の太刀なのです。「童子切」の名は、ここから来ている。伝説と実物が、この刀の上で交差しています。
酒呑童子は、どこから来たのか
酒呑童子の出自には複数の伝承があります。
有力なものの一つに、越後国(現在の新潟県)の出身という説があります。生まれた土地を追われ、各地を転々とし、最終的に大江山に至った。「鬼」として語られる以前に、彼にはどこかの土地に生きていた時間があった。
ここにも「鬼とは誰だったのか」という問いが立ちます。
孝霊天皇の鬼退治と酒呑童子の伝説。時代も舞台も違いますが、構造は似ています。中央の権力が、自分たちの外側にいる存在を「鬼」と呼び、それを倒す物語として語った。
倒された側がどんな人々だったのか、彼らの声は記録にほとんど残っていません。記録を残すのは、勝った側だからです。

刀を打ったのは、どちら側の人間か
ここで、安綱のことを少し違う角度から見てみます。
安綱には山伏(やまぶし)だったという伝承があります。山で修行する修験者。都の人間ではなく、山に生き、鉄を扱い、炎と向き合って刀を鍛えた人物。
太平記(1370年代に成立した軍記物語)には、「伯耆国会見郡に大原五郎太夫安綱という上手の鍛冶あり」と記されています。鎌倉時代の記録『観智院本銘尽』(1316年頃の原本)には「伯耆国小原安綱」の名が残り、安綱の太刀が「未だ錆びず」「主を嫌ふ(持ち主を選ぶ)」と伝えられたことが書かれています。
名前と刀は記録にある。けれど、安綱がどんな暮らしをしていたのか、誰と関わっていたのか、その内面はほぼ何もわかっていません。
わかっているのは、この人物が山に近い場所で、砂鉄から鉄を取り出し、刀を打っていたということ。鉄を扱う人々の中にいたということ。
「鬼」と呼ばれた人々もまた、山に暮らし、鉄と関わっていた。
安綱は「鬼を斬る側」の刀を作った人物として語り継がれています。でもその安綱自身が、都の人間ではなく、山の鍛冶師であった。「鬼」と呼ばれる側にずっと近い場所で生きていた。

斬る側と斬られる側のあいだ
鬼退治の物語では、いつも斬る側が主人公です。源頼光は英雄として語られ、酒呑童子は倒されるべき悪として描かれる。
でも、刀を打った安綱は、そのどちらの側にいたのか。
あるいは、どちらの側でもなかったのか。
鬼と鉄と刀。伯耆という土地では、この三つがひとつの歴史の中で交差しています。1300年前の鬼退治の記憶。1030年前に打たれた刀。その刀に「鬼を切った」という名前がついている。
何が起きていたのか、本当のところはわかりません。伝承は伝承であり、記録は断片的です。
ただ、現代まで受け継がれてきた刀という実物と、残された資料と伝承。今に残されたものから想い描いてみると、教科書の年号では見えなかった風景が浮かんでくることがあります。
「鬼」と呼ばれた人々は、この土地で何をしていたのか。 安綱は、何を思いながら刀を打っていたのか。
参考: 孝霊天皇: 記紀の第7代天皇。楽々福神社(伯耆町宮原ほか日野郡に3社)の祭神。 酒呑童子: 出自に越後国説、近江国伊吹山説など複数あり。退治年代は990/995/1018年の3説。 安綱の山伏説: 修験者でもあったとする伝承がある。 観智院本銘尽: 正和5年(1316年)頃の原本。現存最古級の刀剣書。国立国会図書館蔵、重要文化財。 太平記: 巻第七に安綱の記述。1370年代頃成立。
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